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「おもしろい本」が見つかる「読書法」を紹介して解説します!

「おもしろい本」が見つかる「読書法」【第2回】

 

 

ちまたにはさまざまなブックレビューがあふれています。

そんななか存在する「作家が書いた書評集」。

プロフェッショナルが語る「本音」が読める貴重なものです。

心の奥に響く本音のレビューを読む「たのしみ」。

また、そこで取り上げられた本自体の「おもしろさ」。

それらには格別な味わいがあると感じています。

 

 

 〈目次〉

 

 

 

恩田陸の『土曜日は灰色の』から小川洋子川端康成について

 

 

 

『土曜日は灰色の馬』(恩田陸ちくま文庫

 

 

 

恩田陸カラーが色濃く出ている「名刺代わり」の巻頭エッセイ

 

 

前回は、恩田陸が書いた『土曜日は灰色の馬』という書評集と、その著者である恩田陸に関するアウトラインを話したところで終わりました。

今回はその続きとして、いよいよ彼女の“痛快”な書評に接して、どんどん読むのが楽しくなる『土曜日は灰色の馬』の中身について、詳しく紹介、解説していこうと思います。

 

本書の冒頭には、著者の恩田陸による文庫本にして23ページほどの「ガラス越しにささやく」というタイトルのエッセイが配されています。(本書のための書き下ろしではありませんが)

長編小説のゲラ刷りの校正をするために、彼女が数日間ホテルに泊まり込みで作業しなければならないという時間的に追い詰められた状況に置かれます。そんな中、静謐な深夜、どこか古めかしく古典的スタイルのホテルの一室で彼女がさまざまなに空想をめぐらせるくだりから始まります。

ホラー作家の大家であるスティーヴン・キングの小説『シャイニング』ばりの、現実の世界からすこしずつズレていくような非日常的な浮遊感覚。どこか幻想的で「うすら寒い」恐怖を感じさせるような巧みな文章。いかにも恩田陸らしい色合い。

僕はそれほど熱心な彼女の小説のファンというわけではないのですが、恩田ファンが歓んでページをめくる姿が目に浮かぶような、まさに「ノスタルジーの魔術師」と呼ばれる彼女ならではの描写力が生きた味のあるエッセイです。

「深夜のホテルでの非日常的な空想」、「都会の町の風景の変遷」、「匂いに関する人間の感覚」、「写真という記録の不完全さ」、(彼女がしばしば小説のヒントになるとも言う)「雑踏から聞こえてくる会話や目の前を通り過ぎていく景色、昔から頭に浮かぶ現実に見たものなのかどうか確かでない不思議な情景」。

これら5つのテーマについて恩田陸の非凡な感性でエッセイは綴られていきます。

本書が「書評本」であることを踏まえれば、このエッセイは、彼女の小説を読んだことがない読者に向けた「私はふだんこんなことを、こんなふうに考えたり感じたりしている小説家なのです」という「名刺代わりの自己紹介」のようにも思えてくるのです。

 

 

 

「食材」が大作家でも手抜きなし 恩田シェフのスペシャルメニュー

 

 

さて、落語の「まくら」のように、本書の冒頭、短くも読者の気を惹くエッセイで、まずはサクッとそつなく楽しませる。さすがは現代の売れっ子エンターテイメント作家恩田陸です。

もちろん、これ以降が書評集『土曜日は灰色の馬』の本領が発揮される楽しみなページとなります。

 

「どんな料理を注文しても一皿一皿外れがなくて、注文するのに迷ってしまうような、まるで、人気メニューが盛り沢山なビストロのよう」

 

僕がこの本の読後に抱いたイメージです。

まあ、店はビストロでもフレンチ・レストランでも、割烹料理店でも、なんでもいいのですけれど。とにかく「恩田シェフ」がミシュラン級の「いい仕事」をビシッと決めてくれる「名店」であることは確かです。

 

本書は、

Ⅰ 面白い本はすべてエンタメ

Ⅱ 少女漫画と成長してきた

Ⅲ 暗がりにいる神様は見えない

という3章で構成されています。

ではまず「 Ⅰ 面白い本はすべてエンタメ」と題された、小説を中心とした書評の数々が詰まった最初の章から、これは恩田シェフの「スペシャルメニュー」だと思う極めつけの評論をいくつか紹介していきましょう。

 

 

小川洋子川端康成は「猟奇作家」で「変態作家」!?

 

『猫を抱いて象と泳ぐ』(小川洋子著 文春文庫)



「深化する 小川洋子の小説」と題された書評では小川洋子と共に川端康成も俎上に。

恩田陸はここで、いきなり研ぎすまされた切れのいい包丁を思いっきり振るいます。

いわく、

「国民作家、川端康成は本質的には猟奇作家であり、大変態作家だった。」

とバッサリ!

大作家、川端康成をつかまえて彼女は強烈な言葉を吐くのです。

続けて、

「その幸福な上澄みである『雪国』や『古都』を愛する国民が、やはり本質的には猟奇作家であり変態作家である小川洋子(もちろん、誉め言葉である)の幸福な上澄みである『博士の愛した数式』を愛したのだと思うと、日本国民、なかなか侮れないものがある。」

と言うのです。

こうした忌憚のない評論に、「えっ、なんで?」と混乱する人たちと、逆に「やるなあ〜」「攻めてるね」と思わず唸る人たちもいると思います。

彼女が「すごい」と思うところはそこです。さすがはデキる評論者、恩田陸

「猟奇作家」? 

「大変態作家」? 

老舗版元、筑摩書房から出版されている書評本に、いきなり、ノーベル文学賞受賞者、日本が世界に誇る作家、川端康成に向けたなんとも衝撃的な言葉が出てきものだと、思わず笑ってしまいそうなほどの強いインパクトですね。

しかし、川端康成の『眠れぬ美女』や『みずうみ』という小説を読んだことがある読者なら、この「猟奇作家」や「大変態作家」という表現にはそれほど抵抗もなく、驚きはしないかもしれません。

彼らは恩田陸に向けて「よくぞ言った!」「よくぞ書いた!」と快哉を叫ぶことでしょう。

『雪国』や『古都』で日本の伝統的な美を描いてノーベル文学賞を受賞した川端ですが、その後に書かれた小説はそこに留まることはありませんでした。

川端の後期の作品『眠れぬ美女』は " ロリコン小説 “ 、『みずうみ』は " ストーカー小説 “ などと称されることがあります。また、『山の音』という、老人が自分の息子の嫁にひそかな恋心を抱いて惑うなんていう、これまた危険な小説もあります。

学校で習う教科書に載っている『雪国』だけではない川端康成の奥深き世界。川端が後期に書いた退廃的な色合いの強い小説を読むことなしに、川端文学の正体を識ることは難しいかもしれません。

恩田陸は、川端の『雪国』、『古都』と小川洋子の『博士の愛した数式』を"幸福な上澄み"と表現します。

恩田陸の言う ”幸福な上澄み” とはどういうことでしょうか? ”上澄み” ということは、底に沈む ”澱り” のような、なにかどろどろしたものもあるということでしょうか・・・。

「猟奇」「変態」という部分は ”上澄み” ではない、底にある本質的なものということなのでしょうか?

彼女はさらに、

「『猫を抱いて象と泳ぐ』を書いた小川洋子は、小説というもの、あるいは自分の小説が幸福な上澄みとして読まれることをどこかきっぱりと拒絶したように思える。」

と続けます。

さて、これははたしてどんなことを意味しているのでしょうか? 

チェスを愛する主人公の少年 ”リトル・アリョーヒン ”の数奇な人生を描いた小説『猫を抱いて象と泳ぐ』は2011年に発表された小川洋子の代表作とも呼び名の高い小説です。11歳で身体の成長を止めた主人公はチェス盤に無限の可能性を求めていきます。

ネタバレになってしまうので、これ以上の内容を書くことは避けますが、小川洋子の優しく、美しく、しかも現実を残酷なまでに描くという彼女の作風が貫かれた興味深い小説です。

 

ところで、川端の極めてエロティックでデカダンスな小説といわれる『眠れる美女』は、その作風から話題となり、発表当時、他の作家たちからもさまざまに評価されました。

眠れる美女』はラテン・アメリカ文学の名手として『百年の孤独』や『予告された殺人の記録』などの著書で知られるコロンビア生まれのノーベル文学賞受賞作家ガルシア=マルケスにも影響を与えました。ちなみに、大江健三郎中上健次らはマルケスの『百年の孤独』に大きな影響を受けているようです。

川端の『眠れる美女』にインスパイアされたマルケスは、後にエッセイ『眠れる美女の飛行』(1982年)や『わが悲しき娼婦たちの思い出』(2004年生)という本を書いています。

川端は1972年にガス自殺で亡くなります。享年72歳。どこまでが真実なのかはわかりませんが、その事情や原因について書かれているとして有名な『事故のてんまつ』という臼井吉見による本が1977年に出版されて、当時、大きな話題となりました。はたして、晩年の川端にはどんなことが起きていたのでしょうか?

恩田陸は、小川洋子の『ミーナの行進』という小説の中身に触れて、

川端康成の自殺を受け、図書館で最初は『伊豆の踊り子』などを借りていた朋子が『眠れぬ美女』を借り出すところが、やけに意味深に感じられてくる。」

と、まさに「意味深に」この評論を結びます。なにか含むところが多く感じられる締め方ですよね。

 

 

 

作家の書いた書評を読んでみることで見つかる「おもしろい本」

 

 

紙幅にしてわずか2ページという短く簡潔な小川洋子川端康成に関する評論。しかし、ふたりの文学者の核心を突くような切れ味の鋭さと中身の濃密さに驚かされます。

「猟奇作家」で「変態作家」の小川洋子、「猟奇作家」で「大変態作家」の川端康成恩田陸がふたりをそう呼ぶ意味、その所以にはとても深いものがあるわけです。

この評論に興味を持った読者は、恩田陸がここで取り上げた小川洋子の『博士の愛した数式』『猫を抱いて象と泳ぐ』『ミーナの行進』の3冊と、川端康成の『雪国』『古都』『眠れる美女』の3冊、これらの作品に興味津々、読み比べたくなってくるのではないかと思います。

みなさんはいかがでしょうか?

ただ「なんとなくよさそう」といって本を選ぶのではなく、強い関心や興味を持ったという「理」があって本を手に取り読んでみるということが、より深い読書の「愉しみ」になるといえるでしょう。

「作家の書いた書評」を読んでみること。

それこそが「おもしろい本」が見つかる「読書法」ではないかと私は思うのです。

 

では、次回も恩田陸の書評集『土曜日は灰色の馬』の魅力について、さらに詳しく紹介、解説していきます。

どうかお楽しみに!