「おもしろい本」を見つける「読書法」【第5回】
ちまたにはさまざまなブックレビューであふれています。
そんななか存在する「作家が書いた書評集」。
プロフェッショナルが語る「本音」が読める貴重なものです。
心の奥に響く本音のレビューを読む「たのしみ」。
また、そこで取り上げられた本自体の「おもしろさ」。
それらには格別な味わいがあると感じています。
恩田陸『土曜日は灰色の馬』から植草甚一について
〈目次〉
気がつくとそばにいた偉大な「J・Jおじさん」
『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』(植草甚一著 ちくま文庫)
「ものごころついた頃から植草甚一は既に存在していた。彼のセピア色の世界が、古い地図みたいに最初からそこにあったのだ。」
こんな書き出しで始まるのが、恩田陸の書評「『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』を再読する 植草甚一について」です。
冒頭で、「小学校五年生のときに本屋で買ったことを覚えている」「私を捉えたタイトルとデザイン」というのですから、なんとも ”おませな” 読書マニアぶりには驚かされます。
小学生でもう植草甚一なんかを読んでいるのですからね。
のちにミステリー作家としてデビューするのにも納得してしまいます。
植草甚一といえば、映画会社・東宝に勤務後、40歳の頃から映画評論や音楽評論(ジャズ)を書き始め、1960~1970年代にかけて、映画、モダンジャズ、ロック、海外ミステリー小説など、幅広いジャンルで日本にサブカルチャーを広めた第一人者的存在です。
映画評を単行本として発刊する際に、語呂がいいとして自らのニックネームを「J・J」としたということです。
「植草甚一は、気がつくともうJ・Jおじさんだった。笠智衆がいつも映画の中ではおじいさんだったように。」
というように、1964年生まれの恩田陸にとって、また、当時の多くの若者たちにとって、1908年生まれの「J・J」は、欧米、特にアメリカでその時々に流行っている映画、音楽、本など、楽しいポップカルチャーをいち早く教えてくれる、信頼と親しみの持てる「おじさん」的存在だったのです。
そんな感じの「おじさん」ですから、植草甚一に影響を受けたクリエイターは枚挙にいとまがありません。
また、彼の代表的な著書『植草甚一スクラップブック』を再編集した書籍『植草甚一研究』(晶文社刊)には、池波正太郎、浅井慎平、片岡義男、小林信彦、田村隆一、筒井康隆、虫明亜呂無、淀川長治ら、たくさんの著名人が文章を寄せています。
ちなみに、植草の死後、「植草甚一コレクション」とでも呼ぶべき4,000枚を超える大量のジャズのレコード・コレクションの行方がはたしてどうなるのか、ちまたで話題になったことがありました。
結局、早稲田大学在学時代は「ジャズ研」でトランペットを吹いていたというほどのジャズファンであるタレントのタモリがすべて買い取って、植草甚一コレクションを引き継ぎました。
恩田陸が「いったい何度読んだか分からないけれど」という植草甚一の名著『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』を久しぶりに読んで、いとしの「J・Jおじさん」について論じます。
しかし、「何度読んだか分からない」って、すごいことですね。
みなさんには、何度読んだか分からない愛読書、ありますか?
伝説的ブックガイドへの「イジリ」と「ツッコミ」
前回紹介した松本清張に対する評論からは、作家・恩田陸として、清張への「畏敬の念」や、より複雑化する現代社会と対峙するがゆえの緊張感や危機感が感じられてました。
それとはがらり一変、ここでの文章には明らかに、心からはしゃいでいるような楽しさが感じられます。
そして、まるで親戚のおじさんへの愛着と親しみの情ゆえにそうなったかのような「イジリ」や「ツッコミ」まであって、読んでいるこちらまで楽しくなってくる評論です。
「おじさん、あらすじの説明をはじめる。それがまた、起きる出来事を漫然と並べただけの、実に退屈な説明。」
「本人もそう思ったらしく『こんな筋書きを書くのはいやになった』と、突然あらすじ放棄。」
「おじさん、話をあちこち飛ばすし、下手をすると『説明しなくちゃ』と言い訳しつつ、とうとう別の思い出話にかまけて説明なしに終わってしまう頁まである。」
もうこんな感じなのです。
しかし、サブカルチャー案内人の先駆者とでもいうべき存在である天下の「J・J」をつかまえて、「お笑いじゃないんだから」と思うようなほどおみごとな「イジリ」と「ツッコミ」です。
こんな評論、植草甚一について書かれたほかの書評ではなかなか読めないと思います。
恩田陸のそんな「単刀直入さ」に思わず笑ってしまいます。
しかしながら、読んでいるこちらも「こんな書き方あり?」とツッコミを入れたくなるほど、実際、いいかげんな箇所があることはあるのです。
恩田は、このように奇妙な記述になっているのは、一見読者に語りかけている文体だけれども、これが植草甚一による「自分のための覚書」だからと結論づけています。
なんとも奇妙な本。でも、いつ読んでも楽しい気分になれる本。
そういいながら、恩田は『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』を評論していきます。
探す、読む、聴く、書く。雑学好きで軽やかな「J・J」への賛辞
『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』は、恩田陸が書いたようなツッコミどころもあるのですが、なんといっても、「本探しの達人」ともいわれる植草甚一の本に対する ”目利き” が十分に発揮されている名著です。
当時、海外ミステリー小説は翻訳されていないものも圧倒的に多く、「J・J」は原書で読むことを至上の歓びとしていたようです。
「古本屋を回って、エドマンド・クリスピンやマイケル・イネスのペーパーバックを探すなんて羨ましい。」
恩田陸がこう書いているように、J・Jは「散歩と雑学好き」で有名なおじさんであり、その軽やかなフィールドワークで長年、街を歩き回り、本を探しまくって、ブックレビューを書いていました。
また、本に限らす、海外ジャズのレコード評を雑誌「スイング・ジャーナル」に寄せたり、ドアーズやピンク・フロイドなど、当時、最先端のロックバンドの素晴らしさを語って世に広めたりもしています。
そんなわけで、『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』では、J・Jの”目利き”による、まだ翻訳もされていない当時最新の、日本ではまだ誰も知らないようなおもしろい海外ミステリー小説の数々が紹介されていたりします。
「今の私にこそ役に立つ情報も満載。イアン・フレミングやジョルジュ・シムノン
、四百冊以上も本を書いたジョン・クリーシーらの小説作法やアドバイスも、決して端折らず淡々と訳してくれている。」
と、恩田陸もJ・Jおじさんの現代でも通用する先見性のある ”目利き” が生きているこの本のすばらしさを絶賛します。
そう、1908年生まれのJ・Jおじさんは神保町の書店街などを歩き回って、コツコツと好きな本を探しまくってきて、40歳を過ぎてから評論を書き始めました。
そして、1960年後半から1970年代にかけて爆発するような勢いで注目された人です。
いま風に言うのなら突然「バズる」わけです。
植草甚一は常時好きな本を買いまくっているために、晩年になるまで裕福ではなかったと聞きます。彼の蔵書は4万冊にもおよんだということです。
いまでも年間300冊は本を読むというとんでもない読書家である恩田陸。
そんな彼女は、植草甚一の『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』の書評を、なによりも最高の賛辞とも思えるこんな言葉で締めくくっています。
「「いやはや」おじさんの地図は広すぎる。大人になっても、小説家になっても、こんなに面白く読めてしまうし、またきっと読み返すだろうと思ってしまうのだから。」
恩田陸が言う「何度読んだか分からない」本。
ぜひ、そんなすばらしい本にめぐり逢いたいものですね。