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「おもしろい本」が見つかる「読書法」を紹介して解説します!

「おもしろい本」が見つかる「読書法」【第3回】

 

 

ちまたにはさまざまなブックレビューであふれています。

そんななか存在する「作家が書いた書評集」。

プロフェッショナルが語る「本音」が読める貴重なものです。

心の奥に響く本音のレビューを読む「たのしみ」。

また、そこで取り上げられた本自体の「おもしろさ」。

それらには格別な味わいがあると感じています。

 

 

 〈目次〉

 

 

 

 

恩田陸の『土曜日は灰色の馬』から三島由紀夫について

 

 

 

『土曜日は灰色の馬』(恩田陸ちくま文庫

 

 

 

昭和のエンターテイメント界に燦然と輝いた「スター 三島」 

 

 

 

豊饒の海(一)『春の雪』(三島由紀夫新潮文庫

 

 

第2回で、恩田陸の傑作な書評集『土曜日は灰色の馬』から、小川洋子といっしょに川端康成について書かれた書評を取り上げました。

今回は、川端を父のように尊敬し、川端もとてもかわいがっていたといわれる三島由紀夫についての、とびっきりおもしろい書評がありますので紹介したいと思います。

 

書評のタイトルには「ケレンと様式美 スター 三島に酔いしれたい 三島由紀夫『春の雪』」とあります。

読み進めていくと、恩田陸は作家としての三島由紀夫がとても好きなことが強く伝わってきます。

何といっても、タイトルで「スター 三島」と言っているくらいですし。

もちろん三島は万人が認めるであろう日本文学界における「大スター」であります。

いや、世界的にといっても過言ではありませんね。

まずは、いきなり16歳の時に執筆したデビュー作『花ざかりの森』。

まるで鮮やかな「ショート・フィルム」集でも観ているような斬新な短編集で、「天才が現れた」と世の読者を驚かせます。

センセーショナルな登場のしかたもありましたが、当時、やはりそこに書かれたものから感じられる彼の作家としての高いポテンシャルに、誰もが圧倒されたはずです。

いまのプロ野球にたとえれば、「令和の怪物」と呼ばれる千葉ロッテ・マリーンズの若手投手、佐々木朗希の登場のようなものでしょうか !?

デビュー以来初の先発ローテーション入りした2022年4月10日、開幕間もない対オリックスバッファローズ戦。

いきなり「13者連続奪三振」、「1試合19奪三振」(プロ野球タイ記録)、「プロ野球史上28年ぶりの完全試合達成」。

しかも「最年少記録更新」というおまけまでついた、あの強烈なインパクトのような・・・。

1回目に続いて、野球のたとえで恐縮です!

 

三島由紀夫の活動は文壇だけにとどまらず、多岐にわたります。

たとえば、映画では、俳優として、若尾文子勝新太郎石原裕次郎ら往年の名優と競演。映画『憂国』では原作はもちろんのこと、監督、主演までしています。

このように、三島由紀夫は間違いなく昭和の「大スター」という存在でした。

 

 

 

三島の小説は「舞台の上の芝居」 それをうっとりと鑑賞したい

 

 

さて、小川洋子と川端のふたりを論じた、どこか重く深刻な文章とは打って変わって、ここでの恩田陸の評論には、カラッと明るく元気で、どこか「小粋」な印象すら受けるのです。

恩田は、今や三島を語る人が「楯の会」の自決の話ばかりになってしまっていることには納得がいかないとし、

「あれじゃあ、ただの変な人で終わったみないじゃありませんか。

私が『一見上品なふりをしているが本当はスケベは世界文学』というテーマで密かに選定しているベストテンでも上位に入る、『憂国』みたいなエロいものもあるのに。」

なんてことも書いているのです。

ここで映画『憂国』の話が出ましたね。

「じゃあありませんか」という、これまでとはちょっと異質な、くだけた文体。

そして、『一見上品なふりをしているが本当はスケベな世界文学』なんていうテーマ。

そんな「恩田シェフ」ならではのユニークさ。あふれ出るユーモア。

ここはもう、思わず笑わずにはいられませんよ!

彼女はほんとうに大の三島由紀夫のファンのようですね。

 

この評論において、彼女は三島の小説を以下のようにたとえています。

「彼の小説は、舞台の上で演じられる芝居なのだ。

これを客席から素直にうっとり鑑賞し、決して書割りの後ろを覗いたり、緞帳をめくってみたりしないこと。

それが三島を楽しむコツだと私は信じている。」

「歌舞伎を見ても、なぜあんな変な化粧してるんだ、なんであんなところから出てくるんだ、なんであんな奇妙なポーズなんだとは追求しないはずである。

それと同じことが三島由紀夫にもいえる。」

 

たしかに、『潮騒』『金閣寺』『午後の曳航』『憂国』など、挙げていけばきりがないほど、三島由紀夫の小説には演劇的な要素が強くうかがえます。

それゆえか、多くの三島作品が映画化されています。

実際、三島は歌舞伎の台本『地獄変』を書き、『近代能楽集』、『サド侯爵夫人』、『鹿鳴館』などの「戯曲物」をたくさん書いています。

『近代能楽集』は三島が「能」を文字どおり近代劇に訳したもので、ニューヨークをはじめ海外でも上演されて、世界に「能」を知らしめました。

また、『サド侯爵夫人』は、日本での公演におとらず、海外でも大きな人気を集め、パリ、ロンドン、ストックホルムブリュッセルなど、世界各地で頻繁に上演されてきました。

このように、三島由紀夫は演劇的な要素に満ちあふれた小説家であり、実際に優れた舞台芸術作家でもありました。

 

 

 

スピリチュアル系の世界でも映えわたる三島の「芸」

 

 

恩田陸がここで取り上げた三島由紀夫の小説『春の雪』は、全4巻からなる小説『豊饒の海』の1巻目で、貴族の恋愛物語をテーマに描かれます。

三島最後の長編小説となった『豊饒の海』は、輪廻転生や仏教、神道、能など様々な要素が交じり合った幻想的な作品といわれています。

その内容は難解で、現在でもさまざまな解釈、さまざまな読まれ方をしているのです。

 

さて、この三島由紀夫の “最後にして最大の問題作” とも思える『豊饒の海』ですが、恩田は『豊饒の海』について、

「これは、平たく言うと輪廻転生の話なのだ。(中略)三島が完全にスピリチュアル系の世界に足を踏み入れた話なのである。」

と語ります。

過去にそちら側に行ってしまった作家の例はたくさんあるけれど、そんな時はいつも淋しい思いで本を閉じるという恩田陸

「しかし、三島由紀夫の場合は平気だ。

彼の場合、本当に信じていたのかもしれないが、それすらも彼は演しもの(だしもの)として舞台の下から観ているからである。」

と、ここでも三島への絶大な支持が揺らぐことはありません。

 

三島の小説は、最後まで計算された絶妙なコントロール下にあった「舞台の上の芝居」だったということを言いたいのですね。

 

「スピリチュアル系」な書き物について、ここで恩田陸が言及している、あまりにも傑作なくだりがあるので、引用したいと思います。

「巷にはスピリチュアル系のものが溢れている。感動ストーリーや自己啓発のビジネス本にはかなりの確率でそういったものが含まれているのだ。」

といいます。

また、彼女はそうした類の本を否定はしないし、それらを求める気持ちがわからないでもないとしながら、

「けれど、その手の本の安易で安っぽい芸のなさには憎悪を抱いている。

こちとら、年中プロットに命を懸けているというのに、このスカスカなストーリー、似たような構成はどうにかならんものか。」

と、バッサリ! 

はあ〜、ここで「こちとら」ときましたよ!

「恩田シェフ」というより、バリバリな江戸前の「板さん風情」といった感じでしょうか?

ここはもう、 「恩田板長」とも呼ぶべき、なんとも威勢のいい「包丁さばき」ではありませんか !?

いわゆる「べらんめえ口調」ってえやつでやんすかね?

本来の「作家・恩田陸」の立場に還って、この本の中でもほかにはない、高いテンション、熱を帯びて語られます。

「どうにかならんものか」と来るのですからね。

 

いやあ~、ほんとうにおもしろいですね、恩田陸

そしてこの書、『土曜日は灰色の馬』は、やはり傑作!

 

彼女は、

「魔法の言葉」や「いくつかの習慣」で簡単に魂のステージを上がれるくらいなら、誰も苦労はせんわい。

せめて、『豊饒の海』くらいの芸がなきゃ。」

「ですから、『春の雪』はその手の本の芸ある見本としても読めます。」

とこの評論を締めています。

徹頭徹尾、三島由紀夫の礼賛ですね。

まあ、それも当然でしょう。

こんなにスケールの大きい不世出の文学界のエンターテイナー、そうはいないでしょう。

三島由紀夫最後の長編小説『豊饒の海』は『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻からなります。

とても長い小説ですが、まずはこの『春の雪』で「スター三島」の芸に酔いたいものです。